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置かれた場所で咲きなさい
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今年の夏に、我が家の北向きベランダのこんなところでシソが芽吹きました。

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『自分ら、この先どうするん?』

そう思うと同時に、『置かれた場所で咲きなさい』という本の言葉が脳裏をよぎり、勝手に『ど根性シソ』と名付けて生育を見守ることにしました。



種が落ちた場所がたまたまココだっただけで、ここで芽吹いたのは彼らの責任ではありません。

どんな場所であろうと、条件が揃えば自動的に芽吹く『植物』というシステムのすごさに改めて気づいた瞬間でした。

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あなたの親もまた、親ガチャでした
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親ガチャって流行語になりましたが、残念ながらあなたの親もその親(おじいさん・おばあさん)の親ガチャでした。
子供は親を選べないといいますが、それは親も同じですね。
親も自分の親を選べなかったんです。

だから、気持ちはわかるけど、現状を人のせいにするなよな。


私は日頃からお釈迦様の教えを宗教というよりは、どちらかと言えばとても合理的な考えとして捉えています。

そのお釈迦様が今から2,500年以上前に、人生は一切皆苦(いっさいかいく:すべて思い通りにならない)と教えてくれています。

人生はすべて思い通りにならないと考えると、親ガチャ上等と思えるようになるかもしれません。

『置かれた場所で咲きなさい』というよりは、『置かれた場所で咲くしかない』んです。

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置かれた場所で咲いたらこうなりました
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で、ここからがさらに考えさせられるところ。

『ど根性シソ』がその後どうなったかというと…


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枯れちゃいました…。

やっぱり無理なものは無理なんですね。
うちのベランダで言えば、ほとんどが咲けない場所。

『置かれた場所で咲くしかない』

でも大丈夫。
私たちはスーパーコンピューターよりも素晴らしい頭脳と、ロボットよりも精巧な手足があります。

シソはそこから動けないけど、あなたはどこにでも行けます。その気があれば。

親ガチャって人のせいにしてその場で枯れますか?
それとも咲いた場所から、育つ場所を探して移りますか?

さあ、どうする?

『咲く場所は選べませんが、育つ場所は選べますよ』